こんにちは!
東京三鷹市のパーソナル水泳インストラクターの酒井やすはです。
私はチャイルドマインダーという英国の保育資格を持っています。
この実習やスイミングで一緒にいたお子さんの親御さんとのお話しの中で、「わが子、障害があるのかも?」という親御さんのお言葉を聞くことがありました。
障害の種類に関わらず接点があまりなかった方にとって、初めての子育てに加えて色々な思いもあると思います。
ここでちょっと、一人ひとり違ってはいますが、基本的な知的障害の特徴や傾向などをまとめてみようと思い記事を書きます。
もう一つの「知的障害とは」も読んでみてくださいね。
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こちらでは障害の表記を「障害」とさせていただきます。
福祉畑で働いていると、「表記よりも中身の方が大事だ」と思う反面、やはり気にされる方もいらっしゃると思うので、その理由を説明いたしますと、一つに私自身とその周りの方は表記よりも中身についてしっかり話し合う仲間が多い環境で生きてきたということと、音声読み上げソフトにかけた際に「障がい」表記では「さわりがい」等と誤った情報をお伝えしてしまうため、「障害」表記に統一させていただいております。
障害のあるなしに関わらず誰もが暮らしやすい社会となることを願い、お伝えしていきます。
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「知的障害」って、なぁに?
IQ検査について別の記事に書きましたが、簡単に言いますと、「知的発達に関わる障害」です。
年齢により、人間が成長すれば、その年相応にだいたいできることが出てきますが、知的障害の方はこの成長が同じ年齢の人と比べて大きく遅れているのです。
そもそも「知的」ってなぁに?
「知的障害」というと、「勉強ができないんじゃない?」「飛び跳ねる人?」などなどと聞かれることがあるので、もう少し詳しくお伝えします。
例えば、学校に行く前までに、自分で着替えをしたりトイレットトレーニングが済んだりすることも知的能力の一つです。
学校の勉強で「読み書きそろばん」といったことや、モノを理解したり記憶したりすること、先のことを予想したり計画を立てたりすること、自分の意見を話すことも人間の知的活動です。
学校の外に出ていけば、お買い物をしてお金を使ったり、交通ルールや博物館や遊園地のなどその場所のルールを守って行動することも求められてきます。
また、お友達とおしゃべりを楽しむことや、鬼ごっこなどゲームをしようとすれば、そこにルールが発生し、周りの様子や状況を見て人と調和していく力なども求められます。
「知的」というと「勉強」に気を取られがちですが、こうしてみると範囲は広く、いつも、今も、私たちがやっていることですよね。
「知的障害」の基準は?
「IQ」を検査してそれを基準にしています。
「IQ70以下」で、軽度から重度に分けています。
別ページの「知的障害とは」に掲載していますので、ご興味ありましたらご覧ください。
ちなみに、IQ検査をしているのは日本が決めたことで、法律でこのように定められているわけではありません。また世界共通の基準や定義はなく、日本のような「知的能力」にフォーカスした基準ではなく「社会的にどんな支援が必要か」にフォーカスした基準、WHOなど専門家が作成した目安はあります。
知的障害の特徴はあるの?
基準はバラバラとはいえ、一般的な特徴として決めている目安はあります。
1「知的な能力の発達に明らかな遅れがあること」
2「適応行動(先ほどの例で言いますと、その場所のルールに沿った行動をすること)が難しいこと」
3「障害が発達期(=18歳くらいまで)に起こっていること」。つまり、成人から知的障害になることや、中途障害で知的障害になることはない、ということです。
事故などで記憶能力に障害が出る場合は、高次脳機能障害など別の障害名がつきます。
子供の知的障害の特徴はあるの?
全ての子供が母子手帳通りに成長するわけではなく、「人よりミルクの卒業が遅いけど大丈夫かしら?!」と思われる方もいらっしゃいます。
子供の成長に個人差はありますが、いくつかのことが重複しているとやはり気になるお気持ちもお察しします。
あくまでも目安として、知的障害の特徴や、知的障害の特徴が複合したときに子供がどのように感じているのかをご参考までに載せておきます。
1言葉が遅い。
「消化に良いから」と柔らかい流動食ばかり食べていて保育園の入園時にろれつが回らなかったお子さんがいたと聞いたことがあります。このお子さんはちゃんとご飯を食べるようになってから発音ができるようになりました。
それでも歯が生えて、少しずつごはんも野菜も食べるようになってあごは鍛えられているのに、話し始めるのが遅かったり、モノの名前をなかなか覚えられなかったりして気付くことがあります。
「ごはん」を覚えることと、「ご・は・ん」と発音の仕方(口の形)を身につけることに時間がかかり、ずっと「アー」でごはんをお母さんにお願いします。
2理解に時間がかかる。
信号の「赤はとまる」「青は進む」などのモノに意味合いを持たせていることの理解が難しかったり、目に見えない数字やたとえ話を理解することが難しかったりします。
理解に時間がかかるので、それが自分でできるようになるまで、人よりも多く繰り返し繰り返しチャレンジして、できるようになります。
算数の文章題に書いてあることの意味が分からず、例えば「リンゴが3個、ミカンが2個あります」と書いてあったら「目の前にリンゴやミカンはない」ことに気が行ってしまい目の前の計算ができなくなってしまいます。そして時間切れになることに慌てて、なんとか答えを埋めようと人に聞いてしまい「宿題を自分でやらなくてずるい!」と誤解が生まれることもあります。
3なかなか覚えられない。
いっぺんに沢山のことを言われると、頭の中のバケツから水があふれて頭が真っ白…ということはだれにでもあります。
知的障害の場合、このバケツが小さいので、一度に沢山のことを覚えることが苦手です。
また、覚えたことをすぐに忘れてしまうことが多くあります。
九九や憲法の前文の暗記など、学校では色々なことを記憶することが求められますが、人より繰り返し繰り返しの反復で身につくものもありますし、成長していけば知的障害の子供の中で「これは得意、不得意」が分かるようになってきます。
健常者と同じく、できることはやりたいと感じますし、できないことは人に頼りたいと思うようにもなります。
ただ、同じ学年の友達と比べて発達が遅いのでできることが少なく、人と同じ完成度にするために人に頼ったり聞いたりします。
人に助けを求めることは知的能力として大切なことで、「どうやって人に頼めばよいのか、そもそも人に頼んで良いのかわからない」というところで悩んで、同じ場所に立っていて動けない知的障害の方も多くいらっしゃいます。
知的障害の方を受け入れている企業の方から「知的障害者はかなりの努力家」と言われるのも、子供のころから繰り返し同じことをやってきたから、という生活があったからというのも理由の一つと言えます。
子供の遊びの中で気付けることもあります。
4ルールや順番がわからないように見える
たとえば、遊びの中では順番やルールがありますが、それの理解が遅かったり身についていなかったりすることで、「どうして順番(ルール)が守れないの?」と気づくことがあります。
例えば、遊園地や駅で人が並んでいるとき、「人が並んでいる」ことと「人が集まっている」ことの区別がつかず、「電車に乗るから立って待とう」と思った場所が「列に横から入っていた」ということにつながっていくことはよくあります。
勝ち負けも分かりづらく、サッカーなど「ゴールにボールを入れたら1点」となっていても、自分の体の向きが変わるとゴールするべき方向が変わり、「どっちに行けばいいんだ?」と悩んでしまいます。
5体の感覚がわかりにくい
ボールなど道具を使ったときに、バランスが悪くて動作がぎこちなかったり、逆にゲーム画面や向かってくるボールなど一つのモノを見続けてグニャグニャに体を曲げて「悪い姿勢」を取ったりします。
テニスなどで「目でボールを追う」「走ってボールを取りに行く」など複数の動作を一度にやることも苦手です。
周りの友達をみてやっていることを脳で処理して自分の体でやってみる、ということが難しく、先生と同じ格好ができない(マネができない)ことも出てきます。
手先や足先の感覚が鈍い子供では、文字を書くことが苦手だったり、裁縫など細かい作業が苦手だったりと、その遊びを避けていることもあります。
これらの体の感覚が分からないままですと、自分の体がどこからどこまでなのかがはっきりしないので、人との距離感が分からずに電車や街中で人とぶつかってしまうことがあります。そして自分からそれを人に伝えることが分からずそのまま謝らずにやり過ごす(過ぎ去ってしまう)ことにつながっていき、社会の中で生活しにくくなってきます。
発達障害の方の中で、体の感覚が分かりにくい方にも同じことが言えます。
6自分や人の気持ちが分かりにくい
自分の気持ちを理解すること、またそれを人に伝えることが苦手で「無口な人だ」と思われる知的障害の方がいらっしゃいます。周りから見たら「何を考えているのかな」と分かりにくいのですが、知的障害の子供の頭の中では「この気持ちはなんだ?」「この気持ちはなんていえば良いのかな?」と頭がいっぱいで、いつの間にか時間が経ってしまい「人よりスタートが遅くなった」ということへつながっていきます。
一方、「空気が読めない」という言葉があるように、顔の表情や声のトーンから「相手の気持ち」を理解することが苦手で、その場その場に合わせたことを言えないのです。
何事も自分の知っているコトバや言い方で話してしまうので、その場に合わせた言葉を選べず、ストレートな言い方になってしまい、周りがびっくりしたり傷ついたり、友達が減ってしまう…となるのです。
これが原因で、知的障害の方の中で、会話に臆病になって引きこもってしまう方は多くいらっしゃいます。また人との信頼も築きにくくなり、特定の人としか話せないこともあり、新しい信頼関係を築くことに時間がかかることもあります。
「ボランティア先の知的障害の子供はそう見えなかったな」という子供の中でも、「ボランティアの人は一緒に遊んでくれる人」と理解して、言うなれば「ボランティア慣れ」しているだけで信頼関係とは別モノに考えていたり、別の場面ではおとなしかったりする知的障害の子供もいます。
細かい作業が人より不器用であったりモノをうまく話せないことで、いじめの原因になることもあります。
知的障害の原因はあるの?
別ページにも書きましたが、知的障害のほとんどは、原因が分かっていません。
ダウン症など、染色体に違いがある場合は、「ダウン症の原因の一つは染色体にあるのでは」と考えられていますが、「なぜ染色体が違うのか」という原因については分かっていません。
お腹の中にいる間、酸素不足だったことが原因で子供が知的障害になったとしても、なぜ「酸素不足」になったのか原因を特定することは難しく、「身体障害」ではなく「知的障害」になった可能性や原因も生まれた後に推測されることで、はっきりとした原因は言い切れないものがほとんどです。
別ページの障害者の歴史についても触れたように、時代によって知的障害に関わらず、障害の原因は「普段の行いが…」と言ったものから「もしかしたらこれが?」と現在まで色々な意見が出ては消えていっています。
「発達障害」との違いはあるの?
知的障害と発達障害は別物としていますが、発達障害の中に、知的な遅れがあり「知的障害と重複している」ものがあります。
この二つの障害の重なる部分に、自閉症や学習障害、注意欠陥多動性障害(ADHD)などがあります。
もう少しお知りになりたい方は別ページをご覧ください。
「子供が知的障害かも」と感じたら
事務手続きなこと
役所の窓口でまずは聞いてみましょう。
地域の障害者の支援センターに相談してみると、診察のことや障害者年金や手帳の申請から、普段の生活のことなど色々教えてもらえます。中には障害者が働いているセンターも(数は少ないですが)あるので、より親身になって聞いてもらえます。
私たちができること
同じ人間です
知的障害があるからと言って特別に待遇が必要なのかと言えば、同じ人として人づきあいをすることが大切です。
できることはゆっくりでもできますし、誰にでも嫌なことはしないなど、人間関係を築く上で当たり前のことは当たり前にやります。
その中で子供(本人)がやりにくいところに、理由を考えたり、やりにくい理由を聞いて「困っている感」を知って、一人でできるところまでは手伝ってその先は任せるなど環境を整えたり、伝え方を工夫したりすれば良いことも多くあります。
軽度の知的障害の場合は見た目から分かりにくく「できそう」に見えるので、逆に「なんでできないの?」と誤解されることも多くあります。部活で先輩から後輩へ「なんでできないの?」と言われると後輩が「そりゃ先輩はうまいわよ…」と傷つくのと同じで、知的障害の方にとってもとても傷つくことです。
待ったり(まったり)、工夫したり
緊張していたり、頭の中がフル回転で何から話していいのかわからなかったり、言葉を選べなかったり…などの理由で、話しかけても無口な知的障害の方の場合は、「どうしたらいい?」「好きなものでいいから」「なんでもいいよ」という聞き方や言い方ではますます「私どうしようかな…」迷ってしまうので「イエス・ノー」や「3つの中のどれ?」と言った聞き方や、イメージしにくいようなら現物や写真・絵を描いてみたりと、答えやすい質問の仕方で解決できたりします。
焦らすことで頭が真っ白になってしまうことも多々あるので「ゆっくりでいいから」と一言加えておくことも解決の一つです。まったり、と大きく構えていられる場面では大きく構えて、時間を取ってスケジュールを立てていることも工夫の一つです。
ルールが分かりにくい場合は、理解しやすいように言葉を簡単にしたりと説明に工夫すれば一気に理解できることもあります。
子供がルールや行間に気付いていない場合は、始め「周りの友達は分かるのにどうしてわからないんだろう?嫌だな、手間がかかるな」などと感じられる方もいらっしゃいますが、「これはこの理由でダメ」と理由をつけて教えてあげれば理解していくことの手助けになりますし、話し合うことで人間関係が作れていけます。
今どうしても苦手なものは、10年後にできるかもしれません。30年後かもしれません。時に相談できる人へ相談してサポートしていけるパイプを持つことも方法の一つです。
知的障害の子供が依存するのは?
知的障害者が親御さんや特定の人に頼りきりになってしまう原因に「依存」が挙げられることがありますが、それは特徴で挙げた「一人でできないから周りに頼もうとする」ことの他に、人間関係の範囲も関係していると考えられています。
人間関係を築くことが苦手な知的障害の方の場合、信頼のおける人を増やすことに時間がかかります。そのためどうしても同じ人と話してしまうことにつながります。
健常者が何気なく色々な人やサービスに頼った(依存した)結果「自立している、一人で何でもできる(ように見える)」ことに対して、知的障害の方は頼むパイプや頼み方の方法(依存先)が分からなかったり少なかったりして、なんでも自分でやらなければと背負い「自立できない、やっぱりだめなんだ」と思ってしまうことも多々あります。
私たちが、普段「ごはん作れないならスーパーで惣菜を買って済ませる」ときはスーパーという依存先を持っていて、買って済ませるという食べる手段を工夫しているからです。
バランスよくごはんを食べられるように買い方を工夫したり、将来一人暮らしした時にヘルパーに頼んで手作りのごはんを食べるなど、工夫や手段はいくらでもあります。はき違えて単純に知的障害の方に「知的障害だからしっかりしなさい、毎日ご飯をつくりなさい」と言うのはナンセンスです。
人としてのお付き合い
逆に「どうせ知的障害だから分からないだろう」などと考えて、目の前で本人の悪口をいう人がいますが、本人は一つ一つの言葉を聞いて分かっていたりしますし、意地悪をされれば人間として当たり前ですが傷つきます。
知的障害に関わらず、知的障害そのものよりも、障害とは人と人との間にあることが、知的障害の子供(本人)にとっての障害であることを、忘れてはいけないことだと考えます。